必殺仕事人 写真ライフ

写真の心得から仕事に活かせる撮り方の初歩の初歩。写真をきれいに見せたいわんわんアドバイス!

カメラを持って街に出よう ②

f:id:adamsflyjp:20190404192934j:plain


 さくら咲く4月に突入しましたね。

新しく元号変わって本当に新しいスタートという感じです。

この時期はカメラの出番が多いと思います。

卒業式、入学式、お別れ会、お誕生日会など、、、

そして今年は特に新年号になったことで色々なお祝い事などもあり出かける機会が多いのでは、、、

 

ところで「新年号? 新元号?」

どちらが正しいのだろうか塗布と考えてもしてもいますが新年号の方が言いやすいかなと自分では思っています。

調べてみるとどちらでも間違いではなさそうですが。

「令和」、、、なんだかちょっと温かみが薄い感じがするかな、、

多分、自分の中で固まっているイメージが「れい」冷たいもの、淋しいもの、水木しげるもの、なんかでイメージがいっちゃうんだろうかな。

皆さんはこの元号はどう思いますか?

 

それではカメラの授業の始まりです。(笑)

といってもそんなに大げさなものでは無いですので気楽にいきましょう。

皆さんはどのようなカメラをお持ちですか?

アナログカメラの時代から(フィルムカメラ)からいうと色々なタイプがあるのはご存知だとは思います。

 

僕自身が知っているもの、使って来たものを列記してみますが皆さんも知っているカメラがあったら教えてください。

一つ一つ後から簡単に説明を加えますのでとりあえずカメラの種類だけを箇条書きにしています。

 

こんな感じでしょうか。

写真機が発明された19世紀ごろなのですが16世紀ごろは単なる投影機でした。

前回書いたカメラ・オブスクラというものでした。ラテン語で「暗い部屋」

という意味だそうです。

 

箱の一方に穴を開けて光を取り入れ、反対側を壁面にあてて像を投影させるという方法です。

いわゆるピンホールカメラというやつですね。

こうして得られた像を画家たちがトレースして絵画に仕上げたりしていたそうです。

投影像を得るという点で最初のカメラと言えると思います。

多分、画家たちの作風にの変化期であったに違いないと思います。

普通、画家たちはキャンバスに向かって比率を測ったりして遠近法を使った律しています。

よく、絵筆を前の方に突き出して片目をつぶっているポーズを見かけることがあります。 

もっと昔の絵画は画家たちの直感で描いていたと思うのですが、、、

 

16世紀といったらまだ日本は戦国時代後期、、織田信長豊臣秀吉徳川家康が歴史に登場していた頃ですからなんかものすごい昔という感じがします。

もうこの頃から、カメラというものの兆しが見えていたわけですね。

 

19世紀になると写真機という形が少しずつ出来上がってきます。

フランス人の科学者ニエプスと画家ダゲールの二人が世界初の写真撮影法をつくりました。

ニエプスがアスファルトを感光材に(今でいうプリントののはじめ)、その研究を引き継いでダゲールが銀メッキを施した銅板を感光板として使い、さらに水銀蒸気をあてて

 (今でいう現像)陽画(ポジ画像)を作ることを開発し成功しました。

この画期的な発明のおかげで世界初の写真が誕生したということになります。ダゲレオタイプ1800年代前半に欧米に広く普及していきました。

もう一人、タルボットというイギリスの科学者がいます。

カロタイプという写真技法を発明した人です。

この発明によって一般の人にも広く普及しました。

当時、写真はあまりにも高価なため裕福層だけのものに近い状態でしたし、露光に何分も時間がかかるため椅子に固定金具で止めて座ったり、後ろにつっかい棒などに寄り掛かったりしなければならなかった様で大変であったようです。

皆さんは、例の坂本龍馬の写真をみたことがあると思います。

ちょうど日本は幕末から明治中頃のあの頃の時代だったんですね。

その頃の写真家はアーティストというより科学者色の方が強かった様です。

フィルムカメラの原型がフランスで誕生したのは、1820年代のこと。
日本には天保14年(1843)、オランダ船によって長崎に写真機材(ダゲレオタイプカメラ)が持ち込まれます。

そして嘉永元年(1848)、彦馬の父である上野俊之丞が日本で初めての写真機を購入します。
のちにその写真機は薩摩藩に渡り、藩内の写真機研究チームによって研究が進められ、安政4年(1857)9月17日、藩主・島津斉彬をモデルに日本人による最初の写真撮影が行われました。

フィルムカメラの原型がフランスで誕生したのは、1820年代のこと。
日本には天保14年(1843)、オランダ船によって長崎に写真機材(ダゲレオタイプカメラ)が持ち込まれます。

そして嘉永元年(1848)、彦馬の父である上野俊之丞が日本で初めての写真機を購入します。
のちにその写真機は薩摩藩に渡り、藩内の写真機研究チームによって研究が進められ、安政4年(1857)9月17日、藩主・島津斉彬をモデルに日本人による最初の写真撮影が行われました。

f:id:adamsflyjp:20190404182403j:plain

薩摩藩主・島津斉彬の写真

天保9年(1838)、長崎の蘭学者・上野俊之丞(しゅんのじょう)の次男として生まれた彦馬。
彼が写真に興味を持つようになったのは安政5年(1858)、長崎海軍伝習所医官を務めていたオランダ人軍医ポンぺの塾「舎密試験所」に入ったことがきっかけといわれています。

彦馬は当初この塾で舎密学(化学)を学び、のちに「舎密局必携」という化学のテキストを記すほどの化学者でした。
ところが、オランダ語で書かれた化学の専門書にあった「フォトガラフィー=写真」に興味を覚え、写真機の制作や撮影の研究をはじめたことが、彼をプロカメラマンの道へと進ませることになるのです。

f:id:adamsflyjp:20190404183534j:plain

上野彦馬

上野彦馬は長崎で上野写真局を開いて幕末から明治の偉人達をたくさん撮影しています。

f:id:adamsflyjp:20190404183601j:plain

龍馬

こうやって見てみると昔の写真は味があると思います。
カメラに向かってじっとたつ。

多分、時間にすると数分はかかったんではないかと思う。

カマラマンとの一本勝負、、という感じですね。

失敗したら切られてしまいそうです。
 昔は心を盗まれるとか寿命が縮むとか言われていたんだろうな。

(写真はお借りしました。)

 

感光や定着に使う薬品の反応を研究したり薬品の知識が必要だったわけですから。

あまり歴史の話ばかりでは面白くないですけどもう少しお付き合いください。

そして、コダック社がロールフィルムを作り始めます。

f:id:adamsflyjp:20190323203516j:plain

コダック

コダック社はご存知ですか?

ジョージ・イーストマンが創業者でコダックカメラとフィルムを発売し一般の人に普及指定行くきっかけが生まれました。

といってもかなりの高額でしたが。

昔の話を聞くと、カメラ一台買うのに家一軒くらいの高額だったと聞いた事がありますが、少し大げさかもしれないけれどそのくらいに高価なものだったということは事実だった様です。

写真の画像として残す試みは銀版写真から現在までのフィルム写真による写真へと変遷していきました。

当時はカラー写真はまだ普及していませんでしたが色彩を使った調色写真や発色カプラーをフィルムの中の感光剤にしたりしておおきく進歩して現在にいたっています。

今はデジタル写真が主流ですがまだフィルム写真も少なからず存在しています。

フィルム写真の愛好家はまだまだ沢山いますし、僕自身もその一人です。

ただ、仕事で使う機会はもうほとんどなといってもいいくらいですが、、、

 

こうやって写真の歴史を振りかえってみると16世紀ごろの事は別としてフィルムを使う写真の歴史は1889年のイーストマンコダック社から考えてみると100年ちょっとの期間でフィルム写真が台頭し、そして今デジタル写真が普及し始めてまだ間もないわけですから記憶するフィルムからセンサーに変わっといってもいいわけですね。

僕自身もデジタル写真という話を聞いたのは最初のおパワーマックを買ったころでしたからかれこれ25年。

当時のデジタル写真は使い物になるわけでもなかったがデジタルというものを理解するにはいい勉強材料になったというところでした。

デジタルカメラが本当の意味でカメラ機材として使える様になったのは10年くらい前からだろうかと思う。

それでもまだまだ進化を続けているのだから、これからなにが生まれるのかが楽しみでもありますね。

 

ここまで書いた事は写真を撮影するための技術的なことではないのですが写真をイメージして作っていくには覚えておいても良いということでした。

 

写真の基礎としてまずは最初に写真の歴史について触れてみました。。

カメラはどこでどの様に生まれてきたのだろうか、どんな人々が写真に関わってきたのだろうか、そして近代から現代へと移行し発展して今日へと至ったのかをはしょりながら書いてみました。

 

20世紀前半にはカメラの小型がどんどん進んでいって、ニコン、キャノン、オリンパスミノルタ、富士、リコー、コーワなどレンズ付きカメラをカメラメーカーはこぞって売り出し値段も下がって書いやすくなりました。

僕の初任給が手取りで16800円で当時のニコンFがボディの値段が5万円くらいしていたし、アシスタンの給料はほとんど無給、おまけに無休、、、とほほの時代だった。

それでも楽しかったのはなぜだったんだろう。

きっと写真マジックだったんだと思います。

 

 

1920年、1930年、1940年、写真は劇的に新しい世界をもたらしたと思います。

この頃は戦争という歴史的に大きなものもあり、当然そこから生まれてくる悲劇や喜びなどがカメラによって実像が記録される様になり、これまでに見たことのない遠くの、いった事のない土地での出来事をみる様になってきました。

雑誌もどんどん写真を使うことによって知らない土地の知らない国の子供達や、動物や花や景色など自分の生活の中に飛び込んでくる驚きの体験だったのでしょう。

 

こんない素晴らしい写真を覚えるのって素敵だと思います。

 

写真の歴史的な事は今回で終わりです。

 

この次はカメラの種類やレンズの使い方などを何回かに分けて書いていきたいと思います。

 

写真を撮るのに重要な事は

機材ではなく撮る人です。

その人の嗅覚(直感だと思います)

そのみがき方を少しでも多くお伝えできたら良いと思っています。

どんな時でも最高に素晴らしい写真が撮れる様になりますよ、、、

僕が教えるのですから、、、

 

長い文章になってしまったけれども写真を覚えるための序章だと思ってください。

 

読んでくれてありがとう、、